催し物

行ってきます〜ました

ゲームが途中で止まった時サイパンカジノ 19681

昨年の10月26日未明に スーパー台風26号(現地名YUTU) がサイパン島南部とテニアン島を直撃し、 我々が1年がかりで準備したアイアンマンサイパンを吹き飛ばしただけでなく、2か月半経った今もサイパン島はそのダメージからの復興が道半ばにあるということです。

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あの日もいつもと同じ様に仕事帰りに近くのシーザースパレスと言うカジノに遊びに行った時の出来事です。 まずは10万円だしで3点タップ(最高3万円まで貼れる)のテーブルでコツコツ遊んでいました。僕はいつもバカラをする時、プレーヤーに貼るかバンカーに貼るか を決めるのに1円玉を転がします。1と書いてある方が出ればプレーヤー、葉っぱの方が出ればバンカーと決めているのです。 今までは経線を研究してどちらに貼るか決めていましたが、僕の中で出た結果は100回ゲームをすれば100通りの経線がでる。 つまり何の役にも立たない、ただの目安でしかないと言う事にたどり着きました。 それからは1円玉を転がしてそれにそって貼って行くのです。 大事なのは毎回同じ金額を貼るのではなく、金額の上げ下げを付けないとなかなか勝てないと思います。 その日も相変わらず1円玉を転がしてやっていたのですが、最初の10万円が1時間ぐらいで溶けてしまいました。 テーブルもシャッフルになったので、すぐに参加出来る5点タップのテーブルが空いていたのでそちらに移動する事にしました。 そのテーブルでは勝ったり負けたり少し遊べたのですが、結局そのテーブルでも負けました。 僕のなかでその日の予算は30万円でした、残り10万円どうしようかと考えていた時、ちょうど20万円のバランス台がシャッフル終了したので、 そちらに移動する事にしました、それで負けたら今日は帰ろうと思いながらゲームがスタートされました。 cosmoでoff springのコンサートがあったので行って来ました。 べガスにいると色んなバンドや歌手達が、世界中から来るので時間を合わせれば次から次へと好きな歌手達を見る事が出来きます。 今回のoff springは昔からのお気に入りのバンドで,いつか行ってみたいと思っていたらやって来ました。 場所はcosmopolitanの屋外ステージでプールやコじゃれたバーなんかもあります。 気温は熱い方ですが夜9時からだったんでまあなんとかOKと言った感じです。 まず最初に前座のバンドが登場です、ココではみんなそんなノリノリと言うわけでもなく、何人かクビをたてに振っている程度です、中には耳栓をしている人もいました。 40分ぐらいで前座バンドが終わりココからついにメインのoff springの登場になるのですが、さすがoff spring周りの人たちもどんどん中央に集まって来てざわざわしてきました。 登場時間が近づくにつれどこからとも無く葉っぱのにおいもぷんぷんしてきます。 メインにむけて仕込んでいるようです。 そして突然電気が消えてメンバーの登場となるのですが、ここから突然会場の雰囲気が一気に噴火します。 つづく。 このテーブルは8デッキのゲームなので75ゲームくらいで1シューター終わるのですが、60ゲームを超えた当たりで僕の手持ちのチップは1000万を 超えていました、1枚10万円のチップが両ポケットにわんさか入っていて、テーブル上に100万の塔が5本(500万)もうこの時のテンションは今でも 覚えていますが、ウーロン茶しか飲んでないのに、薬かなにかでぶっ飛んでいる感じでした。 確実の勝ちを確信してから残り約15ゲームは正直もう勝っても、負けても良いから早く終わらないかなー? と思いながら適当にバカラを楽しんでいました。 ようやくカットカードが出てラストゲームとなった時の僕の手持ちの金額は850万でした。 そしてゲームが終わった時テーブル上には200万分のチップ、残りはポケットの中にわんさかと言う感じでした。 知り合いも何人かいたので、あまりチップをたくさん持っている所を見られると、貸してほしいと言われるのが嫌だったので、隠していました。 そんな僕の雰囲気を察してか、店長さんが気を利かせてくれて僕に耳元でささやいてくれました。 店長[お前山盛り勝ってるやろ、こっそりチェックしたるからバックの中に全部入れて俺に渡せ。]。 バカラカジノが大好きな僕ですが、今日はべガスの仲間と飲み会です。 場所はMGM Hotelに最近出来たマイケル ミーナのパブで開催されました。  旅行会社社長のY君、マンダリンオリエンタル超高級フレンチTwistの料理長のryuさん、シルクドソレイユの数少ない日本人メンバーのありささん、と彼氏で劇団四季の影さん、と言うなかなかの豪華メンバーで職種もバラバラの集まりでした。  みんなそれぞれ個性が違っていて、バックグラウンドもちょっと変わっている人たちで、聞いた事のない話があちこちから出て来てめちゃ面白い飲み会になりました。 みんな言葉には不自由してますが、アメリカで何とか頑張っています、日本にいる人たちの中にも海外で大活躍できる技術を持った人はゴロゴロいると思います。 僕が海外に出た時もそうでしたが、あまり深く考えずまずはその国に行ってみる、それからどうすればいいか考えれば良いと思います。 日本にいて心配事を考えだしたらいくらでも出てくるので、とりあえずまずは最初の1歩から、どうしてもうまく行かない時は一度日本に戻ってまた作戦を練り直せばいいだけなので。 簡単そうでなかなか難しいかも知れませんが、うまくチャンスをつかめた人には今までと違う景色の世界をみながら、違う生活が出来ると言う特典もあるので 一度しかない人生いろいろチャレンジするのをお勧めします。 ちなみに僕の好きな言葉は千慮迷無です。 see you! 月収1000万円時代 これは以前働いていたカジノがクローズになり、その時のオーナーさんから誘いの電話がこの激アツ時代の始まりでした。 このオーナーさんには相当気に入られていて、仕事が終わった後よく一緒によそのカジノにバカラカジノをやりに行ったりしていました。 おこずかいとして多い日は100万ぐらい貰ったりした事もありました。 そんなオーナーさんから一緒にお金を出してバカラカジノ経営をやらないか? と言う内容だったのですが、僕はその時ちょうどバカラカジノで 負けまくっていた時で、あまりお金が無いとけど出来る事はやります! と言っているとそのオーナーさんはお金がないならし方が無い、 ディーラーとして働いてくれとのことでした。 それで儲かればチップとしておこずかいをくれると言う事でした。(店が儲かれば結構貰えると何となく想像していました) その場所は小さいスナックに8人がけのバカラカジノテーブル1台と言うかなりしょぼく小さいカジノでした。 でもそのオーナーさんは当時そうとう顔が広く、常にお客さんで一杯で賑わっていました。 バカラテーブルの上には100万円の束がなんどもとんで来て、お買い上げがありました。 僕のディーラーが調子良すぎる時は、チップトレーが満タンになり、良く逆注($100チップをキャッシャーに戻して$1000チップに変えてもらう)してチップトレーの場所を作っていました。 ディーラーは僕だけなので、忙しい時はほとんど休憩はなく、どうしてもトイレに行きたい時はオーナーさんが僕の変わりにディーラーをしてくれていました。 当時はディーラーをしながらタバコをすったり、コーヒーを飲んだりと結構自由に出来たので以外と快適だったのを覚えています。 つづく。 ある時、店の斜め前にいつも止まっている車があり、何となく怪しいな? と思いながらその車の後を付けて行くと、その車は京都府警に入って行きました。 定かではありませんが内定調査中だったのかもしれませんでした。 オーナーさんと2人でミーティングをして、もうそろそろ潮時かもしれないので、辞めようと言う事になりこうして小さはドル箱カジノは閉店して行きました。 今思えば、いけいけドンドンのオーナーさんではなく引き際も知っている人だったので、良かったと思います。 あの時もし捕まるまでやっていたら、今僕はこうしてアメリカで楽しく生活出来ていなかったと思います。 こういう節目節目は今思い起こすと僕はうまく切り抜けて来たと思います。 友達にも同じような人が何人もいますが、途中大稼ぎをしていても結局捕まって身動きが取れなくなり、どんどん貧乏になって行く人が多い中、僕は運良く 1度も捕まる事がなく、日本の闇カジノを切り抜けた数少ない一人だと思います。 今まで日本に暮らしていたときに最高に稼いだ時代がこの時でした。 今思えばもっと現金を残しておけば良かった多と思いますが、普通ではあり得ない経験もたっぷり出来たので良しとします。 これが月収1000万円時代の僕の話です。

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